sonomiklog

家族4人(夫婦/姉弟)暮らし。都内の70平米ほどのマンションで暮らしています。会社員です。

復職まであと1日

育児休暇が終わる。約1年と1か月+1.5週。

半分過ぎてからの折り返しがものすごく早かった。自分自身の体も回復し娘もそこまで手がかからないようになり身軽に過ごせるようになったからだろう。育児休暇という素晴らしい制度に感謝である。

 

娘は慣らし保育5日目。未だ別れ際は「どうしておいていくのか」と言わんばかりの泣き顔で訴えてくるが、保育士さん曰く、すぐに切り替えているらしい。ここのクラスを誰よりも楽しんでいますよと。そうか、楽しいのであれば母は安心だ。

 

自分が小さい頃の記憶は断片的に覚えている。最初病院に付属の保育園に通っていた。その保育園のレイアウト、どこに靴箱があって・・・とか、園長先生の声とか、仲がよかった兄弟の名前とか結構憶えている。園の中で自分がお姉さんになった頃は小さい子の寝かしつけを手伝っていた(自分は眠くないから暇だったのだろう)。みんな一気に寝かせるんだといって両手両足で赤ちゃんをトントンした記憶がある。保育士の先生からは怒られはしないが笑われていたような気がする。今のご時世だとあり得ない光景だろう・・・。

その園は病院付属ということもあって規模が小さかった。そのためか母親に「もっとお友達が欲しい」と言ったことも覚えている。お迎えの車のままどこの保育園にいくか外から見学をして自分で行きたい保育園を決めた。

 

転園当日。靴箱の前で大泣きした。なぜ泣いたんだろう?母はじゃあねと笑顔だったな。知らない人ばかりで不安だったんだろう。でも次の日から泣かなかった。おそらく初日で友達ができたのだろう。どうだろう?しばらく泣いていたのだろうか?記憶は美化されるからあてにならない。

両親共働きでお迎えが遅いこともあったが、腹が減った・・・くらいでさみしいとか悲しいとかはあまり記憶にない。むしろ保育園の先生を独り占めできるから楽しかったのを覚えている。

 

何でこんなことを書いているかというと、きっと娘も同じような気持ちなんだろうな・・・と思ったことがきっかけである。これまで24時間母親と過ごしてきた生活から保育園という知らない人ばかりの場で生活をする。彼女なりの社会デビューだ。ぜひ逞しく生きていってほしい。